皆様、貴重なお時間の中私の記事を見て下さり、本当にありがとうございます。
毎年1月の終わりから5月中旬までは私はあるアレルギー疾患と闘います。
それは、スギ花粉のアレルギー性鼻炎、即ち花粉症です。
ある文献で述べてある花粉症の定義は「IgE を介するアレルギーによる鼻粘膜の炎症で、くしゃみ、鼻水、鼻閉を伴う」とありました。
しかし!
実際、私がかつて体験したアレルギー性鼻炎はそれどころの話ではありませんでした。
私的には、対応を誤れば(油断すると)喘息化し、命にも関わる疾患だと認識しています。
※ ごくまれに上記の事を”大袈裟”だと豪語される方もいらっしゃいますが、それは実際その「地獄」を体験された事の無い方の根拠のない言葉なので失礼ながら無視しています。
私が初めて花粉症にかかったのは小学6年の時でした。 私が学校の下校中、悪友がいたすらで私に投げた石が、スギの木に当たりました。
そこから花粉の粉が大量に舞い、私の身体中に直撃した時が、私の花粉症デビューの始まりでした。 それから幾度となく、毎年1月下旬が来る度に花粉症になり、耳鼻科に向かうという繰り返しになりました。
そして、花粉症にかかった時期で最悪だったのは中学の2・3年と高校の2年の時でした。 前述した「花粉症の症状は鼻水など・・・」とありましたが、そこに、私は下記の症状も味わいました。今考えただけでも身の毛もよだつ症状を・・・。
それは・・・
- 39度以上の発熱
- 目鼻口からの黄色様浸出液(溶けたバターみたいな)
- 上記浸出液(血液のように固まると皮膚・粘膜組織にくっつく)と鼻閉の窒息発作
- 身体全体の痒み
- 結膜炎
これが、私が中学と高校時代に味わったアレルギー(地獄)症状です。
これで学校を一週間以上休み、ティッシュ箱は5箱/日くらい使用、不眠も続き、仮に寝れたとしても翌日は浸出液で目も鼻も窒息状態、それを取ろうと水で洗い流そうと皮膚を刺激すれば更に痒みが襲う。
正に、「地獄の連鎖」でした。
あと、それに加えて最悪だったのは“身内”も“周囲の学校関係者”も、花粉症(アレルギー疾患)を「風邪」とか「抵抗力」によるモノだと誤った認知をしていた事でした。
耳鼻科の医師から説明を受けてもその頃の身内はうまく理解出来てなく・・・。
また、私がいた部活(柔道部)の人間も花粉症の事は誰も認知出来てなく。
しかも、柔道部でかなりハードな練習中なので、マスクつけて練習させてもらえる程、甘い現場ではありませんでした。
そして、悲劇は起こりました。
私が中学2年の時、熱が39度以上出てから、学校側も危険を認知したらしく、私は学校を欠席しました。
更に中学3年の時期は花粉の飛散が強烈な時期でした。 予防策はとりましたが、結局高校受験の勉強どころではありませんでした。
そして、3月の公立高校受験は見事に玉砕(不合格)しました。その後、滑り止めで花粉症発症前に受験した私立高校に入学しました。
それが、現在の如水館高校でしたが、結果的には如水館に行けて良かったです。
何故なら、中学時代に3年間「校内暴力」に合い、生きる希望を失いかけてた私を救ってくれた恩師の先生に出会えたからです。
何はともあれ、本当に花粉症は対応を誤れば危険な疾患です。 それだけに、病気に対する理解を自分以外の周囲の方々にも受け止めていただける事も大切だと思うのです。
※ 皆様、貴重なお時間の中、記事をお読みいただきありがとうございます。
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